毒親という言葉

あなたに出会えたことに感謝します。🙏

こんにちは!ややまる。です!🙌

インスタでたまたま見かけた投稿に少し考えることがあったので残していきたいと思います!

ややまる。
ややまる。

こういう話題は扱いが難しく、結構書くか悩んだんですが、勇気を出して書いてみたいと思います。

毒親という言葉に対しての考え

その投稿はいわゆる「毒親」によって育てられたという投稿者が子育てをしている動画です。

動画内で生まれたばかりの子どもに合わせてほしいという実親からの連絡に対して、投稿者自身は合わせる気はないと思っているけれども皆さんの意見が聞きたい、というものでした。

その投稿のコメントに『「毒親」という言葉が嫌いだ』といっていた方がいました。

それに対して批判が殺到していたんですね。

「どんな目に遭っても生んでくれてありがとうとかやばすぎ」

「脳内お花畑すぎる」

「あなたの価値観を押し付けないでくれ」

などなど。

ただ、わたしもあまり「毒親」という表現が好きではないので、この方の言いたいこともものすごく共感できるのです。

しかし、虐待や酷い場合には殺害未遂をするような親を表す言葉として適切な表現が毒親という言葉以外にないことも事実です。

また親からそういう扱いをされた方にとっては、親と自分を切り離すために必要な言葉なのだと以前メディアで見聞きしました。

なのでわたし自身は個人の感情として「毒親」という表現を好まないというだけで、決して使っている方を責めているとか、酷い目に遭ってきた人を蔑ろにしてるとか、毒親という言葉の存在を否定したりしているわけではないです。

普通に親以前に人として暴力で解決するのはどうなの?と思うので。

親も他者である

わたしのブログを読む人はご存知だと思うのですが、わたしは両親との関係は良好な方です。

でもわたしの中では戸籍上の両親ではあれど、根本は親も他者であると思っています。

親には親の、わたしにはわたしの人生があるからです。

他者だから尊重します。

この尊重というのは何も相手を全肯定しろということではなく、否定も必要な場合があるわけです。

今回の毒親の件は否定の尊重の形だと思っています。

「あなたにはあなたの、わたしにはわたしの人生があるのだから、過剰な干渉から自立する。」

ということを遅かれ早かれ行動する必要があると思います。

親からの自立という点で言えば、相手が毒親であっても何ら関係ないと思っています。

否定できない関係への対抗手段

そもそも何で毒親という言葉がこんなに使い勝手がいいのかを考えてみると、「否定できない血縁関係に対抗出来る敵意の言葉」として優秀だからなのかなと。

ようは「親という事実は変えられないけど、こんなことをするのを親と思いたくない」を体現してくれるからかなと思っています。

見方を変えれば親と自分との線引きの言葉として、反抗心や反面教師として表現するのにちょうどいいように感じます。

そういう側面で見ればこの言葉の恩恵はものすごく大きいし、実際にそういうふうに割り切れたから自分らしく生きられた人も知っておりますし。

この言葉があったから救われている人がいるから、この言葉そのものがなくなれ!とは思いません。

まとめ:それでも私は「毒親」という言葉に慎重である

ただ、わたしはこの言葉に対しては慎重である方が良いと思っています。

あなたも親に感謝しろっていう話するのか?

と思うかもしれませんが、そうではないです。

わたしは過去に自分に都合が悪いことを親から言われただけで毒親ないし親を悪者にするような発言をしているケースに触れることが度々あったからです。

使い勝手がいい言葉ゆえに本当に助けが必要な人と、自分の都合のいいように捻じ曲げていってるだけの人との区別がSNSではつきにくいと感じることがあります。

ゆえにこの毒親という言葉を使う方の背景をちゃんと知ったうえで向き合う必要があると思っています。

当人が幸せな自立を目指して頑張るための言葉であってほしいと願っています。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!🌼

またお会いしましょう!🌱

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ややまる日記
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