あなたに出会えたことに感謝します。
こんにちは、ややまる。です!
先日、夫とエウレカセブンをみました。
夫はエウレカセブンが大好きです。そのため、ところどころ夫のアツい解説を聴きながら、楽しく見ていました。
そこで気づいたことがあったので書いてみました。
(※以下エウレカセブンのネタバレを含むのでこれから見る予定の人はブラウザバックをお勧めします。)
エウレカセブンは以下の配信サイトで視聴できます。
- Amazon Prime Video
- ニコニコ動画
- TELASA
- U-NEXT
- Hulu
エウレカセブンで感じた仏教の教え
エウレカセブンでは仏教にまつわる言葉や概念が散りばめられています。その中で「サトリプログラム」という言葉がでてきます。
仏教の「悟り」が由来だと思われます。
仏教での悟りの意味は以下の通り
心の迷いが解けて真理を会得(えとく)すること。
心の迷いが解ける…
ヒロインのエウレカもそうでしたが、「自分は何者なのか」と悩んでいました。でもこの問いは、私たちも考えている人が多いように思います。
私たちは自分が思う「わたし」というものを探しながら生きています。
「わたしってなんだろうか。」
「わたしの価値はなんだろうか。」
「わたしが生まれた意味ってなんだろうか。」
でも、なんか疲れてくる。
探せば探すほど、苦しくなっていく。
しまいには、「わたし」なんて価値がないじゃないかと絶望する。
少なくとも、私はこの経験をして何もできなくなったことがあります。
ただ今ならわかる。前提が違うんだと。
「わたし」は自分の中にあると思っていたけれど、そうじゃないのだとしたら説明がつく。
そもそも自分の中にないのに探せば疲れるのは当然のこと。
だってないのにあると信じてずっと探さなくてはいけないなんて、それこそ待ってるのは絶望じゃないか。
じゃあ誰が「わたし」を作るのか。
それは「わたし以外のモノ」。
出会う人、触れてきた物、自分の名前や環境などによって決めてられている。
「わたし」という客観的情報をもって「わたし」が形作られている。
あ、これって仏教の「諸法無我」と同じじゃないかと気づきました。
諸法無我とは「全てのものは因縁によって生じたものであり、永遠不変の実体ではないこと」という意味です。
「わたし」というものは、取り巻いている環境によって決められている一時的な印象であって、「わたしってこういう人」って永遠に変わらない印象なんてものはない。
わたしってこうだと決める必要がないなら、私たちにできることって何でしょうか。
それは「目の前の事象に対して選択して決めて動く」です。
どうするのか、どう生きるのかを決めて動く。
とてもシンプル。
エウレカは自分は化け物だというけれども、化け物というのもただのエウレカという存在の情報であって人格には関係ないことをクライマックスのレントンは明確に理解した上で接しているように思います。
君だから好きなんだ。
この言葉にえらく感動したのは、自分が自分自身に対して抱いている印象なんか知ったこっちゃないと無我を感じるからなのかもしれません。
まとめ
きっと、自分を探している時って複雑に考えすぎていると思うのです。
わたしも考えすぎて身を滅ぼしてきたので。
だから整理してシンプルな形にする作業って大切ですよね。
わたしも日々の生活や会話、占いする際は意識しています。
また占いの話や日々を少し楽にする考え方を共有していきます。
ここまで読んでくれてありがとうございました。
また会いましょう!
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