あなたに出会えたことに感謝します。🙏
こんにちは!ややまる。です!🙌
最近読書の時間の楽しさを再認識できるようになり、ハマっているチャンネルの番組があります。
TBS CROSS DIG というチャンネルの 「Page Turners」という文芸評論家の三宅香帆さんとCROSS DIGのMCの竹下隆一郎さんがひと月に読んだ本を紹介する番組です。
このお二人のおかげで本を読む楽しさやモチベーションが上がっています。
そんなお二人が別の企画で一緒になった番組内で個人的に大きな衝撃だったことがありましたので、ちょっとまとめていきたい。
考察の意味が変わってきている
こちらの動画で三宅香帆さんの新刊『考察する若者たち』の中で考察の定義が変わりつつある、という興味深い話がありました。
この動画内で本に記載されている考察の定義がどうも作者の意図の正解を導くものになってきていると話していました。
例に挙げていた考察動画を実際に見たことがあるのですが、この伏線は作者が意図したものだとかこの表現があるからこれは必ず主人公を裏切る、などなど。
三宅さんもおっしゃってましたが、確かにこれは興味深いと同時に自分も考察は好きなのでこの正解を導くことに囚われているんじゃないかと怖くなりました。
正解を求めると生きる意味を失う可能性
そしてこの正解を求める作業。
これは佐伯ポインティさんが以前、今の10代20代の価値観の根底は「残機が1しかないから失敗をしたくない」という視点だというのを思い出しました。
失敗をしたくないから正解があるものの方が楽。
でもこの楽というのは手抜きではなく、ずっと疲れていることだからだという言葉を言っていました。
ブッ刺さりました。
私も過剰な量の情報に晒されていると、その情報を組み合わせて私が思う「正解」というものに縋りたくなる。
世代は違っても彼らの正解に縋りたい気持ちはなんとなくわかります。
でもこの正解って達成されるとその途端に虚無になります。
これを三宅さんは報われたい気持ちとおっしゃっていましたが、まさに報われた先は何もないのです。
それを積み重ねていくと虚無感が大きくなり、次第に生きる意味を失っていく。
自分が何をしたいのかわからないというのは、この正解を求める考察の流れも一因なのかもしれないと考えさせられました。
改めて作品の楽しみを考察の面で考える
生きがいにまで関わる考察。
ただ本来の「考察」とは、物事をよく調べて考えることです。
そのため、考察動画というのはその判断結果をまとめた意見である「見解」にすぎないことを再認識する必要があると考えています。
そしてその自分の考えとして妥当な見解を導いても、人によって正しいものも注目するポイントも違うことを忘れてはいけないと思うのです。
人の導いた結論も尊重する。
三宅さんも正解を求める考察から、自分の中で批評に繋がったり、自分というものが関心を持っているものを再発見につながることはあるとおっしゃっていました。
私も決して否定しているわけではないのです。
しかしながら、作者の意図など与えられた情報以上の解釈をする時は配慮して発言した方が良いのではないかと思っています。
その主張は必要以上の押しつけになっていないか。
改めて考察分析が好きな私としては、スタンスについて考え直す機会になりました。
まとめ:自分の欲望は自由でいい
最後に、自分のやりたいことは夜更かしにあるという話が非常に面白く。
本当は寝なくてはいけないのに、睡眠時間を削ってでもやりたいことは正解や効率からかけ離れた本音や欲望ではないかというのです。
確かにそう思います。
以前お話しした、自分の中の美しさの話に通ずる部分があり、正解に縛られている考察から抜け出せなくなってしまっているなと感じたら、心のままに作品を受け止める。
生きる意味とは案外自分の中の欲望を大切にするところにあるのだと思います。
欲望のままに楽しんだ時間や作品に対して、世間の正解を求める必要もないと思います。
人の正解は人の正解であって、私はこう思ってるんだ。
それを尊重していく、これを忘れない考察分析をこれからも楽しみます。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!🌼
またお会いしましょう!🌱


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