守破離の感覚が掴めた気がする

あなたに出会えたことに感謝します。🙏

こんにちは!ややまる。です!🙌

先日夫との何気ない雑談で守破離の話をしていて。

ふと最近イラストに関して、守破離の離を感じることがありました。

ややまる。
ややまる。

本日はそんなおはなしです!

守のときは言葉が届かない

夫に言われて気づいたんですが、守破離の守の時って何を言っても言葉が届かないって話を聞きました。

わたしの作品に対しても、確かに夫はいろんな言葉をかけてくれていたのですが、ピンとこないんです。

え、それをやったらまずいんじゃないか。

こういうやり方があるからまずはそこができるようにならないと次にいけない。

みたいな感じで、夫の言葉を心でガードしてたように思います。

でもこれってわたしだけじゃなくて。

お悩み相談で話を聞く時も、本人の中で何か壁を作っている時って、どんなに最善策を伝えても首を縦に触れない状況を何度か見ました。

守破離の守って文字通り守りなので、型を守ることが最優先だと思っている。

つまり型破りなことを許せない時期なんですよねきっと。

あっけない形で破を感じる

それでそんな守の権化と言わんばかりのわたしも頑なに自分が感じている常識であったり、作品に対するプロや先達の声を守ろうとしていました。

確かに確実に前進はしているけれども、なんか首が苦しい。

追い詰められている感覚がずっとしていました。

そしたらふと

やめよう。全部捨てよう。プロや先達が言ってたことも一旦無視しよう。

そういう気持ちが湧き上がってきたので、思いつく限り自分が守ってきた考え方やノウハウを捨てました。

破と離はほぼ同時にやってくる

いざ捨てるぞ!と決めてからは早かったです。

しんどかった。

わたしはずっと他人の言葉で作品を作っていた。

鮮明に見えました。

個性を出さなくてはという気持ちは「徹底的に無個性なものを出そう」に変わりました。

自分のタッチでは描けるMVイラストは少ないという気持ちは「思ってるよりわたしの作品は柔軟性ある」になりました。

いろんな絵師さんの絵柄を取り入れたいという気持ちは「絵柄にすぐ引っ張られてしまうのでほぼみないor資料程度で留める」になりました。

これは破でもあると思うんですが、離も一緒にやってきた感覚でした。

おそらく守と破については何度も繰り返していて、やっと離に着地したというのが正しい気がします。

まとめ:離の経験を知る大切さ

いろんなテイストで絵を描いてきたので、長くわたしを応援いただいている方からするといろんな作風をみてきたと思います。

その都度その都度のベストでアップしていましたが、恐らく現在アップしている作風が今までで1番離を実感するものになっている気がします。

1番描いてるけれども1番楽に描いている実感があります。

今回は絵についての守破離でしたが、他の活動でもこの感覚を大切にして充実させていけたらいいなと考えた日でした。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!🌼

またお会いしましょう!🌱

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