豆記録物語 休日改革宣言 2026.03.19

自分の中でひとつ区切りができたおかげか無理と思っていたことができるようになってきている。

誇張した未来より、等身大の未来の自分をちゃんと見据える方がスムーズに行動への変化につながるかもしれない。

魔の休日

2日ずつ起きる時間を15分早くする。

決めた通り、22時にベッドに入るという自分のルーティンを守りながら行っている。

早く起きて体を伸ばす。

理想の自分はヨガをやっていたが、凝り固まった体をほぐすことをやれば十分だったので軽く柔軟する。

そして洗顔をする。

ゴミ出しの準備をして、寒空の中捨てにいく。

毎日のルーティンだが、ちょっとだけちがう感じがする。

だが怖いのは休日が迫っていることだ。

最近気がついたが、わたしは仕事をする時間によって平日は退屈していないことがわかった。

自分では自覚していたつもりだったが、どうも働く時間が大好きだった。

休日に入るとだらけが入る。

趣味だけの時間もそれはそれで退屈で。

かといって休みのたびにお出かけするのも出費だけが増えてしまうので非常に悩ましく、この長すぎる1日を活用することを真剣に考える必要が出てきた。

時間がないのも辛いが、時間がありすぎるのも辛い。

暇は嫌いじゃないが、暇すぎるのは辛いのだ。

ニートの時に時間があることでどんどん苦しくなっていたことを思い出してしまうのだと今なら思う。

休日改革宣言

仕事をしなくて良いというのは人によっては辛い場合がある。

時間を無駄にしているから嫌なのかと思ったらどうもそうではない。

平日は仕事も趣味も充実して過ごせているから、1日の大半を占める仕事がないことで無になる。

この年で定年退職後の仕事で生き甲斐を無くしてしまった人のそれと同じ状態なのだ。

この時点で、会社員は多分長くは続けられない。

父も動けるうちはずっと仕事してる人だから無理やり休日を設定して休んでいるほどだ。

体力があるのもそうだが、仕事がそのまま自分の日常に馴染みすぎてるからないのが嫌なだけなのかもしれない。

どちらかというと父の気質が強いのか、今ならこの気持ちがわかる。

休みがストレスになるなんていったらおかしいかもしれない。

もちろん働きすぎて倒れるのはごめんだが、わたしが変わりたい前兆には決まってこの言葉が頭をよぎる。

「このままやったら私が腐る。」

休日前の今日、スッとよぎった。

ということは休みの過ごし方を変える時期が近づいているということだ。

休日改革宣言だ。

仕事としての活動を意識する

利益を見据えた活動に置き換えることにする。

現状止まってしまっている制作活動を趣味としてではなく仕事としての活動にシフトすることを考えている。

もちろん休日に予定がある場合は予定が最優先。

特に何もない日にぐーたらするのを防ぐための試作である。

とはいえ流石の休日を心身すり減らすものにするのは過労の一歩手前である。

なので以前紹介したワークを応用し、平日に近い休日の1日をシミュレーションする。

日課である早起きと柔軟、読書、英語の勉強をすませて、午前はイラスト関連の勉強を進める。

午後はブログの執筆も兼ね、プログラミングや単純作業の編み物の制作を進めている。

買い物が必要になれば夕方までに済ませ、平日と同じく夕方になったらエアロバイクを漕いだあとそのままお風呂に入り、夜はのんびり過ごし、22時に就寝する。

平日の過ごし方をとりあえず維持することを念頭におく。

今は直接収入に結びつくものはないが、いずれは新しい収入源として動かす活動である。

今の趣味としての姿勢に仕事としての視点を鍛え上げる期間にする。

これは平日にも言えるが、小さな時間でいろんな休日の過ごし方であったり、経営に必要な知識を身につけていく。

社員じゃなくて社長としての器を育てていく。

おわりに:

腹を括らないといけないのをずるずる先延ばしにしてもチャンスは減るだけだ。

友人を失うかもしれない。

だが自分に必要な人がその時その時で出会うようになっているし、そうじゃないなら離れるもの。

これが普通のことだ。

まずはわたしが変わりたい。

そのために休日がわたしの心を潰すようなことにならないように過ごし方を変えていく。

着実な一歩を進んでいく。

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