あなたに出会えたことに感謝します。🙏
こんにちは!ややまる。です!🙌
先日、「この画力なのにフォロワー〇〇人なのはXのアルゴリズムのせいだ」という感じの投稿があり、どうもこの投稿に引用RPする形で自分も自分もという投稿が増えていました。
このいわゆる「絵描きの自我」について賛否両論さまざまな意見がありまして。
ふと自分自身はこの自我に溺れていないかなと考えるきっかけになりました。
本日はそんなお話です!

それではいってみましょう!
イラストが伸びないのが気になる気持ちはわかる
私も最近になってこのブログ垢からイラスト投稿をするようになったので、せっかく描いた絵が伸びないのが嫌だなという気持ちはわかります。
特に絵で生活をしたい人は拡散力を求められているのでこの数字について敏感になりやすいものであると思っています。
正直、フォロワーが全てではないというのはわかっていてもどこか人気度としての側面であったり、フォロワーが多ければそれだけ拡散力としても大きな力を発揮するのでいち早く自分の作品を多くの人に届けられます。
だから多少なりとも数字の力は侮れないし、気にする人もいて当然だと思います。
フォローしたくなる気持ちを考える
ただこの数字にとらわれても何もいいことはないというのは頭で分かっていても、客観的な情報の説得力を知っている以上、気にするなというのは無理な話です。
でもふと「何で自分のアカウントをフォローしてくれたんだろう」と立ち止まって考えることでただの数字じゃなくて人として接する気持ちを考えるきっかけになると思います
フォロワーの視点が難しかったら、自分が温情抜きにしてこの人をフォローしたいと思う時を考えてみるのもいいと思います。
自分だったらですが、自分の好きな作風を描く人とか、自分の好きなキャラクターをよく投稿するかなどの頻度で見たりします。
その上で画像欄でちゃんとイラスト作品が多いかどうか、過去作品を見て総合的に判断してフォローしたりします。
結論を言えば「黙々とこの人は自分のニーズに合っている作品を高頻度でアップするか」だと思うんですね。
そう考えると、マーケティングの観点でタグを使って自分の作品を見ていただけるチャンスを作ることも大切ですし、デザインの観点で何度もみたいと思わせるように作品の魅力を上げることも大切になっていきます。
自分が皆さまにできること
今回、賛否両論が出た理由としてそのアカウントを運営する方の欲求、いわゆる「絵描きの自我」と呼ばれているそうですが、これを他人の投稿に便乗したり、アルゴリズムのせいにするなどの他責になっている部分が悪目立ちしているのだと思います。
正直なところ、多分環境要因としてアルゴリズムも否定はできない部分もあると思います。
でも環境要因って自分では変えられないじゃないですか。
変えられないところに文句をいってないで、自分ができることをちゃんとやろうぜってことだと私はこの絵描きの自我問題から学びました。
あと投稿でものすごく共感したのは、フォロワーが〇〇人しかいないという言葉ってフォロワーのことを人としてみてない言葉だと言っている方がいて深く刺さったんですよね。
私の場合は、イラストを描くブロガーっていうイラスト特化のアカウントではないので正直普通の絵描き特化垢に比べたら見づらい自覚はあります。
それでもプロフィールに飛んでくれてわざわざフォローしようって思った方が、ありがたいことにたくさんいらっしゃるわけじゃないですか。
そうやって自分の作品を追いかけたいと思ってくれた方に私ができることって、自分だけが楽しいものじゃなくて、ちゃんと皆様がみたいものもアップしていくことだなと思っています。

もちろんフォローいただいた方のアカウントも拝見しておりますし、マシュマロを通して皆様とコミュニケーションツールとしても活用したいですし。
できる限りニーズにお答えしたいのでよろしければマシュマロをお送りくださいませ。🙌
まとめ:その言葉を見る人の視点を思い出そう
アカウント運用に限らず、相手は人ですから心配りを忘れてはいけないように思います。
自分が応援したいと思った人が、自分のことを蔑ろにするようなことを言ったら悲しいよなと改めて思います。
少なくとも私はまだまだイラストを投稿し始めたばかりですし、何ならブログの更新も行なっているアカウントなので純粋に絵を見たい方からするとその時点でちょっと人を選ぶアカウントではあると思っています。
それでもいい!と思って見つけてくれた皆様に対して無碍にせずできることを、そして私自身もイラストやブログの活動を楽しめる場所にします!
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!🌼
またお会いしましょう!🌱



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