あなたに出会えたことに感謝します。🙏
こんにちは!ややまる。です!🙌
私の理念として、イラスト制作をはじめ、何かを作るときは個性を捨てるというのを大切にしています。
いや芸術こそ個性の塊だろう?
と思う気持ちはわかります。
ただ、私はその個性が苦しめていくことを身をもって知っているからです。

ちょっと哲学チックな回ですが、よければ読んでみてくださいませ!
そもそも個性ってあるのか
そもそもの話。
個性ってあるのか?とわたしは疑問に思うことがあります。
広辞苑での個性の意味は
①個人に具わり、他の人とはちがう、その個人にしかない性格・性質。
②個物または個体に特有な特徴あるいは性格。
と定義されています。
人を構成する物質は変わらなくても、その人の顔立ち、体型、知見、関心度は誰1人同じ人はいません。
そういう意味では、個性はちゃんとあるというのは理解はできます。
ただわたしは個性を捉える視点を間違えているように感じます。
個性を判断するのは誰
ではそれを踏まえた上で一体誰がわたしやあなたの個性を決めているんでしょうか。
わたしの答えとしては、わたし以外の全てのものが決めていると思っています。
自分以外が個性を決めているのだったら、自分が持っている個性らしきものってなんだろうと考えました。
わたしはこれはただの「我」だと思っています。
要は「決めつけ」です。
「いやいや、明確に他人との比較してるから個性ってわかるんじゃん。」
と思うかもしれませんが、そもそも自分と他人は最初に言ったとおり、誰1人として同じ存在はいません。
似たような生き方をすることはあっても、自分と同じ環境や状況の人はいないといっていいでしょう。
自分と同じ条件で環境で過ごしている人って自分以外いないのだから、比べられるのも自分だけです。
あくまで個性というのは客観的な視点からみた違いでしかない。
そこに自分の視点はないものだと思います。
でもここに自分の決めつけが入ると、優劣が生まれます。
決めつけが厄介なのは感情を伴うこと。
どんなに他者の作品が素敵だと思っても、ここにネガティヴな感情が伴うと嫉妬という形で決めつけができあがります。
自分が持っているものは個性ではなく、決めつけであることを気づくことが大切だと思います。

私も自分はこういう人だ!という気持ちが湧いてくると、意固地になって人の話が聞けなくなり、人間関係のトラブルも増えて何度も失敗しました。
だからこそ、自分の中で決めつけに気づくことは本当に大切なことだと思っています。
あえてこだわりを捨ててみる
とはいえ、やはりその人らしさという個性が評価される流れは、これからもずっとあるものだと受け止める必要があると思います。
個性というのは端的に言えば「違い」ですし、人それぞれの「違い」を楽しめるから面白いわけです。
そして個性を決めるのはあなたではないし、わたし自身でもない。
というよりも本来は自分の個性を自分が感知できるとは思えません。
イラストでのこだわりポイントを作っても、それはわたしのこだわりであって、人はそことは別のポイントをみていたりすることが多いです。
力を入れれば入れるほど、空回りしてしまうことほうが多かったように思います。
このことに気づいた時から、だったら人の感性に任せようじゃないかと思うようになりました。
わたしはあえてこだわりを捨ててその人の目に映ったものを正とした作品にしようと決めて描いています。
最近は、自分の絵が見つからない状態で人気コンテンツの絵を上げていったら面白いんじゃないか?とその状況を楽しむ自分がいました。
昔から勉強してないよって言いながら陰ながら勉強していい点取るタイプのやり口が好きです。(陰湿か)
でも多分承認欲求に振り回されない楽しみ方に戻れたのは、こだわりを捨ててみたおかげだと思っています。
まとめ:個性は気づいたら出ているもの
個性は自分にはないというとんでも自己否定をしましたが、この考え方の意図ととしては、ないものを探して苦しまない為の自衛の意味があります。
おそらくですが、自分が世に出した作品ってその時点で個性が滲み出てるものなんですよね。
たぶんそこからは技術の問題で、見てもらう人への気遣いとして力を磨いているように思います。
まとまりがあるほうが見やすいとか。
顔周りは丁寧に描いたほうが綺麗にみえるとか。
強いて人に見せる作品としての他者との比較でいうなら、この他者への気遣いの足りなさなのだろうと日々描きながら思います。
わたしの個性論はとても厳しい気がしますが、個性という言葉で苦しんでる人にとって、苦しむポイントが違うぞということが伝われば幸いです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!🌼
またお会いしましょう!🌱
コメント