孤独を愛しても孤立はするな

あなたに出会えたことに感謝します。🙏

こんにちは!ややまる。です!🙌

皆様は、孤独というと寂しさであったりとか苦しさのようなもの、つまりはネガティブなもののイメージを抱きますでしょうか。

でもそれって実は孤立の話なのでは?と思うことがありました。

本日はちょっと孤独と孤立の持論を語る回です。

孤独とはどうにもならない事実

辞書で孤独と引いてみると、

頼りになる人や心の通じ合う人がなく、ひとりぼっちでさびしいこと。

引用元:スーパー大辞林より

こう書かれております。

めっちゃネガティブなワードに思えますが、これって至極当然の事実だなと私は思います。

誰かが自分の辛さを代わりに引き受けてくれるわけではない。

言葉と対話がなければ相手が何を考えて言っているのかわからないし、相手のことを理解することはできない。

寄り添うことはできてもなんでも誰でも心を通わせることができるわけでもない。

これは紛れもなく事実であり、人はそもそも孤独な生き物ということを表しています。

そもそもが寂しい存在であるという前提で生きることを無意識に自分たちは課せられているのだと思います。

孤立とは結果

一方で孤立という言葉を辞書で調べますと、

①他から離れて一つだけ立っていること。
②仲間がなく、一つだけ存在すること。
③対立・対応するものがないこと。

引用元:スーパー大辞林より

こう書かれております。

全てに共通して言えることは何かの結果としてそうあるということです。

つまりは自分の行動次第でどうにでもできるもの、と考えることができます。

嫌な話ですみませんが、いじめで一人になった時に孤立を経験します。

でもこれは見方を変えれば孤立を選んでいるとも思うのです。

孤立を回避したいのなら、転校をするか、勇気を出して別のクラスの子と仲良くなれるように動くとか。

その結果を捨てる方法はいくらでもあるわけです。

だから孤立は選択の結果という意味で解釈しています。

孤独を愛しても孤立はするな

孤独はどうにもならない事実、孤立は選択の結果という話であるのならば。

孤独を愛しても孤立はするなというのが、生きる上で大事な考え方だと痛感します。

孤独を愛することは、極論自分を愛することになります。

自分という存在はこの世に一人しかいません。

似ている人はいても似ている他人です。

同じ人がいるのなら、それはもうドッペルゲンガーかタイムマシンで違う時間軸の自分が同じ時間軸かつ空間にいることでしかありえない。

たった一人しか自分はいない。

それを孤独であると受け入れて死に向かっていくのが人間だと思います。

そして人間は自分以外にいますから、孤独の集団ともいえます。

それぞれが孤独であることを自覚できるから、他者に優しくできるし、寄り添うことができる。

でもその優しさが当たり前のものだとか、自分だけが孤独で苦しんでいるんだと思った途端、孤立していきます。

そして悲しいかな。孤立している人は誰も手を差し伸べてくれないことが多い。

孤立という結果は捨てられるものだと気づいて、動くしかない。

世界は孤独に優しいけれども、孤立には無干渉である。

人間は社会動物だから。

一人では生きていけないからこそ、たった一人の自分を大切にしながら、孤立して首を絞めな生き方を大切にした方が良いです。

まとめ:たまには友人と会話して

私は孤独を愛している方です。

静かな空間で作業することが好きです。

でもそうすると人との会話を億劫になっていって、気がついたら話せる人がいなくなったということが度々あります。

最近思うのは、精神的なダメージは孤立も原因としてあると思っています。

やりたいことに突っ走って孤立に片足突っ込みかけているかもよ?と自分への自戒の意味を込めて孤独と孤立の違いの持論を展開しました。

もし人と話している時間が減っていると思ったら、たまには友人と話そう。

そうやって自ら孤立を選ばないようにしていこうと思った日でした。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!🌼

またお会いしましょう!🌱

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