あなたに出会えたことに感謝します。🙏
こんにちは!ややまる。です!🙌
特に何かあったわけではないけどなんとなく浮かんだことを考えていくシリーズ。
急に始めます。
不定期ですけれども。笑
本日は人間の脳って忘れやすい前提だということについて話していきたいと思います。

それではいってみましょう!
忘れる故のトラブル
物忘れっていっても程度があると思います。
それは大前提として、物覚えが悪かったりすると人をイラつかせてしまったり、その気が無くても物覚えのいい人と比べて気持ちが落ち込んでしまうこともある。
私はどちらかというと忘れやすい自覚があるので、手帳なりなんなりに必ず記録はするようにしています。
が、たとえば何気ないちょっとした会話レベルになるといちいちメモなんてとってなかったりします。。
それでいざ何気ない会話をした時に抜け落ちてて、それ前に言ったよねと怒られて、自分責めてしまうことがあります。
こういうことが積み重なると、相手に本当に自分のことに興味があるんだろうかといらぬ疑いをかけしまうことも増えます。
この物忘れによるトラブルは非常に激しい感情が渦巻きやすいなと思うことがあります。
忘れる状況が日常茶飯事だった塾講師時代
かくいう私も、同じことを何度も言わせんな!!と言っちゃう場面が昔はありました。
でも今は同じことを聞かれても怒りもなく、淡々とそれはこういうことだよとまた教えられます。
そしてそれでもミスが続くなら私の伝え方に問題があると思って、伝え方を試行錯誤して変えてみるなどしています。
これができるようになったのは、間違いなく塾講師を経験したからです。
子どもは興味関心があるもの以外は聞き流す。
そういう環境でいちいち怒っていたら私に話しかけにくくなるし、何より信用を失っていく。
ただ教えるにしても、ここはメモポイントなんだけど、とワンクッション置くとちゃんとメモしながら聴いてくれたりする。
それでたとえ忘れても、この間のメモを見返してごらん、といえば必要な情報は書いているのでトラブルは減りました。
忘れることは当たり前なのだと環境から学べたことは非常に大きいです。
年齢関係なく忘れる
塾という空間は、基本的に勉強への苦手意識が強いから勉強に関する情報が抜けやすい。
だから子どもだから忘れるのは当たり前の環境でした。
でもふと「別に子どもでなくても大人であっても人間である以上、忘れることが前提なんじゃないか?だから忘れない工夫をしているだけに過ぎない気がする。」
ということに辿り着きました。
子どもとか大人とか関係なく、大切だったものもその時の興味関心ごとで徐々に忘れていく。
それが脳にとっては正常な機能。
だって使えるソースが限られているのだから。
今を生きるために必要なことを得る。
そして何かを得るなら何かは捨てることになります。
だから私は怒る必要がなくなったんです。
むしろ何度も伝えることになってしまうのは、相手の問題だけじゃなくて自分の問題もある。
50:50(フィフティーフィフティー)精神です。
そう思うようになってから、同じことを2度言わせるなと怒る必要がなくなりました。
まとめ:忘れる前提が冷静さを作る
物忘れトラブルは感情も飛び交いやすい。
そこまで言わんでもいいやんと思う場面もいっぱいあります。
だからこそ「忘れるという前提」を一回思い出す作業って大事だと思っています。
個人的に怒りに任せやすい時って事実と感情がごっちゃになっているのはもちろん、その人が持っている前提の知識の違いによるのかもと思います。
無意識に相手に自分と同じくらいの能力を求めて同一化していたり。
忘れることを必要以上に悪いことだという価値観で生きてきたり。
冷静にものを見るときの一つの基準として、相手の前提ってなんだろうって考えてみると良いのかもなと考えた日でした。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!🌼
またお会いしましょう!🌱


