あなたに出会えたことに感謝します。
こんにちは!ややまる。です!
夫と先日ドクター・ドリトルを初めてみました。
お恥ずかしながら、実はドクター・ドリトルをちゃんと見たことがなかったので、折角なら一緒にみようと夫がレンタルしてくれました。
うちは Amazon Prime Video でみました。
本日は自分なりに感じたことを書いていきます!
他者の言葉の力は思ってるより大きい
ドリトルは動物とお話ができる力があることをお父様から始まり、パートナーからも仕事仲間からも、そして自分すらも力を認めないシーンはみてて胸が痛かったです。
私たちは無意識に自分がわからないものを受け入れることをとても難しく感じてしまいやすいですよね。
でも見てて気づいたのは、ドリトルもお父さんにおかしいと言われたことから自分の力を殺してしまうことになった。
つまり、他者の言葉が才能を潰すきっかけになるということが言えるのではないかと。
以前別の記事で「諸法無我」の考えをお伝えしました。
わたしという存在は客観的な要素でできているからこそ、他者の言葉の毒が自分を形の一部になってしまう。
「君の力はおかしい。普通じゃないよ。」
自分を強く持つ以前に、毒を入れられてじわじわ内側からやられているわけだから、まずは毒に侵されていることに気づくしかない。
作中では犬のラッキーの「ありのままでいればいいじゃん。」という言葉が解毒剤になって、ようやく自分を受け入れて、人も動物もみるお医者さんとして一歩踏み出していく。
結局は才能を殺すのも才能と名づけるのも自分じゃなくて他者なんだと改めて痛感しました。
まとめ
ドクター・ドリトルはテンポもよく、笑う時間の多い作品でした!
個人的に1番好きなシーンはアルコール中毒を指摘されたオネェのお猿さんが「アタシも漢よっ!」って言いながら酒瓶を投げ捨てたあとすぐに「やっぱりお酒飲みたい〜〜」ってなってるところです(笑)
でも才能の捉え方については他人事じゃないなと、ものすごく考えさせられる作品でもありました。
自分が発する言葉の重みを忘れないように過ごしていきたいと思います。
ここまで読んでいただきありがとうございました!
また会いましょう!