絵は似せなくていい、といって淡々とイラストをラフスケッチで描いていく韓国人の動画に救われている。

もちろん、観察して比率を似せる技術は作品のクオリティ、特に版権のファンアートを人に見てもらうには求められる力としてよく言われる。

でもこの似せようという動機が好奇心や純粋な観察眼であればいいけれど、完璧主義だと話は変わってくる。

わたしは完璧主義の方で、似せなくてはと思い手が止まる。これで作品が完成しない、が多い。

あくまで比率を似せることに専念して、完璧に似せようとしなくていいというその韓国人のYouTubeは似せる部分はどこなのかを明確にしてくれたので、絵を描くのが楽しい。

毎日感謝である。

てがろぐを設置したが、こちらの毎日日記で事足りそうなので閉鎖しようと思う。

ただてがろぐに描いてきたお絵描きメモはブログ記事にまとめて記録しておきたいので、後日記事をアップする予定。

NHKまいにちイタリア語で知ったルクレティアのお話しが今日まで聞けるので再読しながらラジオを聴く。

応用編は実際のイタリア語の文章を見て学ぶのだが、ペーペーの私には初級編でやったことを探しながら気軽に聴くことにしている。
放送では日本語で本文の解説もしてくれるのでありがたい。

だがこのルクレティアのお話は胸にずしりとくるものがあった。

簡単に言うと国の王子が人妻であるルクレティアに陵辱して、それが神への裏切り行為としてルクレティアが自らの手でこの世を去ってしまう。
これがきっかけでローマが王政から共和制になるというものである。

日本では守ってくれる法律はあるものの、心の傷は非常に大きいものであることには変わりない。

ルクレティアの選択が果たしてそれでよかったのかと思ってしまうが、彼女の正解はそれであったというだけだ。

語学を通して文化に触れる。
文化を通して考える。
考えを通して教訓や創作として形を変えていく。

学びの入り口がイタリア語だったけれど、知ることができてよかったお話のひとつだ。

たまに夢で創作の世界を見ることがある。

あまりにもストーリーが良すぎて泣きながら起きることもあったりする。

この話をスムーズに出力できるように、インプットと大事だが、アウトプットも大事にしよう。

久しぶりにイラストを描き進めた。
描き進めていたものを作りきる練習として。
タスクは溜めすぎると折れてしまいやすいので溜めすぎないようにしよう。

記事のURLの更新が非常に難しかった。
エラーの原因と微調整で8時間くらい戦った気がする。
でも問題解決に頭を使っている時間が楽しいのだなと思った。

昨日の夜中から喉の調子が悪いと思ったら、どうやら風邪をひいたようだ。

幸い、痛みのピークは昨晩で、ひき始めの喉風邪程度で済んでいる。

オンライン診療で薬が届くのが明日なので、軽いうちに治していきたい。

しばらく投稿がなくて申し訳ない。

先週は髪を切ったり、カバンを編み始めたり、充実した週末を過ごせた。

そしてまた別の日記で改めて紹介するが、最近2ちゃんねるの旅スレのまとめ動画にハマっている。

徒歩で東京から青森に行くとか、ママチャリで大阪から千葉に行くとか。

ちょっとずつ勇気をもらっていた。

こんだけ時間かけて行ける人がいるのなら、わたしの移動なんて小さなものじゃないか。

そう思って歩くことに抵抗がなくなっていた。

旅の楽しさを虚弱で諦めない方法を探そう。

本日の概念絵。

あたたかさの形って色々ある。

サムネイルはわたしの最近頭にいた概念である。

言語化が苦手で日々鍛えているところだが、流暢に言葉として出ないことを悩むのではなく、わたしができる表現をしても良いと思った。

本日はわたしの頭にある概念を描き出してみることにした。

アニメイラストも好きだが、こういう概念的抽象画なら秒で出力できる。

言葉にできないから鍛えることも大切だが、ずっと言葉を使い続ける必要はないと思った。

うっすらと思っていた自分の言語化スピードの遅さ。

変な話をするが、わたしは昔から音や図で自分の気持ちや感情を表現しろと言われたら秒でできる自信がある。

今の気持ちはこの色だとか、この音楽が合うなとか。
こういう景色の中でいたいという妄想の情景を高低差や時間まで指定して想像、創造できる。

だが、これを言葉にしなさいと言った途端に自分の浮かんだ情景を出力するのにものすごく時間がかかる。

読書感想文は地獄だった。
400字も書けなかった。
読書感想画だったらよかったのにと何度も思った。

じゃあテストは?と思うが、記号や図式をテキストに組み込んだ瞬間、図として認識できるので図式を読む作業になるので理解できた。

だが、その作業に時間がかかるので結果時間がかかる。

こんな感じで明確に言葉にできないことで揶揄われてきたし、なんならいじめにまで進んだ。

そんな自分は異常なんだと苦しんだ。

でもそもそも言葉で考える人とビジュアルで考える人がいるということを知って過去のわたしは救われた。

そんなわたしを救ってくれた動画と思考カラーというコンテンツを共有したい。

動画
→https://youtu.be/TQGekCftU1A?si=N1KUR_SpUyNI0ivW

思考カラー
→https://sites.google.com/view/shikoushokusinndann/

生きる上で文章を書くことは必要だから力をつけて方が、それでも拙い言葉になっているし、わたしの頭の中の情報の1割しか載せることしかできない。

でもこれがわたしの思考なのだ。
わたしはこの生き方でいいのだ。

「ついでに◯◯しよう。」

この言葉はどうにも悪い意味で目立ってしまう機会が多い。

だが、少なくともわたしにとってはこの「ついで」がずっと活動を支えてきた。

パソコンつけたついでにブログを書くか。

起きたついでにゴミ捨てに行くか。

手帳に描いたついでに勉強するか。

ついでにやるという気楽さに救われている。

最近手帳にやったことログとして記録するようになった。

これもついででやるようになったことのひとつである。

記録を見ると、わたしが思っているよりいろんなことを考えていたり、動いていたりしたことに驚く。

要らぬ責任や重圧を勝手に積み上げて完璧主義に自分を追いやっていき、動けなくなってしまう。

そういうきらいがあるわたしは、「ついで」が持つの気軽さでいいバランスを取れることを最近気がついた。

時と場合によるので、ついでに何かをしようと口に出すのはしないでいる。

でも、動くのが億劫だと思ったら頭のなかで「ついでにやろう」を言いまくっている。

君もついでに世界を救っちゃえばいいじゃないか。