「ついでに◯◯しよう。」

この言葉はどうにも悪い意味で目立ってしまう機会が多い。

だが、少なくともわたしにとってはこの「ついで」がずっと活動を支えてきた。

パソコンつけたついでにブログを書くか。

起きたついでにゴミ捨てに行くか。

手帳に描いたついでに勉強するか。

ついでにやるという気楽さに救われている。

最近手帳にやったことログとして記録するようになった。

これもついででやるようになったことのひとつである。

記録を見ると、わたしが思っているよりいろんなことを考えていたり、動いていたりしたことに驚く。

要らぬ責任や重圧を勝手に積み上げて完璧主義に自分を追いやっていき、動けなくなってしまう。

そういうきらいがあるわたしは、「ついで」が持つの気軽さでいいバランスを取れることを最近気がついた。

時と場合によるので、ついでに何かをしようと口に出すのはしないでいる。

でも、動くのが億劫だと思ったら頭のなかで「ついでにやろう」を言いまくっている。

君もついでに世界を救っちゃえばいいじゃないか。

最近漢字を思い出せない時がある。

書かなくなるとわからなくなるものだが、昔のわたしはきっとこれを嘆くと思う。

昔、漢字が大好きで父に漢字博士と言われるほどのどっぷり具合。

その気持ちを思い出し、久しぶりに漢字辞典を買った。

漢字の成り立ちであったり部首に触れて幼い自分の記憶を追体験したいと思う。

体調は万全ではないが、仕事できるまで回復した。

最近ハマっているイタリア語の発音練習が面白い。アルファベットも21字で表すらしい。

この少なさでどうするんだって思うが、聞けば聞くほど馴染みのある単語が心地よく感じる。

とくに日本にない発音は独特な口の使い方をするので面白い。

英語の勉強の息抜きで始めたが、ちょっとずつ足が沼に入っていく感じがする。

最近ゲーム熱が下がりはじめた。

もとからそんなにゲームをする方ではなかったが、ゲームより勉強しようとか本読もうとか自分の中で優先順位が下がってる感じがする。

遊ぶよりも作る側としての力が欲しい。

わたしの中で明確に消費している時間を感じるのが苦痛になっているのだと思う。

今日は英語を勉強しようと思ったきっかけを思い出していた。

それで手帳に色々と思いをつづているうちにひとつ目標ができた。

とりあえずNHKラジオ英会話を今年は楽しむ。